学識に支配された世界
私たちは、今現在見て感じている世界を生きています。そして今まで生きてきた経験や学びから、自分の考え方や常識や習慣的な考え方を身につけ、そこで体験している世界を自分が生きている世界だと思っています。
例えば、病気に関する知識も常識も、生まれた時から教えられ、学んだり経験したり目にしたりしながら病気に対する思いを身につけます。
そして何ら疑うことなく「人間は病気をするものだ」と思い込んで生きています。思い込むだけでなく、信念にさえなっています。
私たちは、生まれてからずっと、知識層の人たちが提供する情報、例えば医学会の知識などに触れ、また教えられながら自分の知識として、常識として受け入れています。
病気にかぎらず、さまざまな知識を学び、受け入れて生きていますので、今見えて感じている世界を自分が生きているまぎれもない世界だと認識します。
一般的には、骨折したときなど、転んだから骨折したと目先の出来事を原因にしてしまいます。
転んで骨折したのにはそうなるべき原因があるかも知れないと考える人はほとんどいません。
事故に遭った時なども「自分は悪くないのに」とか「自分がうっかりしていたから」とか、その場の状況を原因ととらえてしまいます。
自分に都合の悪い状況が生じたときなども、直接のきっかけになった人のせいにしたり、あるいは運が悪かったと運のせいにしたりします。
あるいは自分の生まれた環境が悪いからだと環境のせいにしたりもします。
こうした世界観が自分の生きている世界であると思っています。ほとんどの人はこうした世界観を生きています。
しかし私たちが生きているこの世界には、法則にもとづいた見えざるしくみが存在します。
私たちが経験し、見て感じている世界は、私たちの五官(眼耳鼻舌身)を通して見ている世界にすぎません。五官は肉体に所属します。
私たちはこの肉体が自分だと思っています。この世界は、物質世界であるというとらえ方です。
病気などの原因もこの物質的なとらえ方で観ていますし、病気にかぎらずあらゆる出来事も物質的な見方でとらえられています。それが私たちが生きている世界の姿です。
私たちが生きていると思っているこの世界の奥に、厳然とした確かな世界が存在しています。
私たちは生まれてから今まで確かだと思われている学問や知識に洗脳されていることに気づかなければなりません。
確かな世界とは法則が支配している世界です。
私たちの人生で体験している現象は、自分の心の影を映したものであるという「心の法則」の働いている世界です。
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