第三章 法則は誰が創ったのか

神について

 私たちが生きているこの世界には、さまざまな法則が存在します。自然科学の法則、物理的な法則、数学的な法則、生命をつかさどる法則などが存在しています。

 これらの法則は人類が文明を持つはるか前から存在しています。到底人間には法則など創れるはずがありません。いったい誰がこうした法則をこの世界にもたらしたのでしょうか?

 それぞれの法則が矛盾なく自然に偶発的に生まれるなんてことが起こりえるで しょうか?統一された無限の智慧と知性がなければ法則が生まれるはずがありません。
 人間の知性や認識をはるかに超えた無限の知性が存在すると考えざるを得ません。

 それを宇宙の大生命と呼ばれていますし、一般的には神と呼んでいます。
 そうです神が法則を創り、法則は神に所属します。
 生命には生理機能をつかさどる法則が創られ、その法則に基づいて私たちが生まれています。

 そしてこの肉体をもって生きている世界には、神の与えた「心の法則」が厳然として働いています。
 この法則に従って私たちは自分の環境をつくって幸・不幸を生きています。

 神が罰を与えるという考えは間違っています。私たちは、法則に従って自らに罰を与えているのです。
 これをしっかり理解することが自分の人生を大きく変えていくうえでとても大切です。

 私たちの人生に現れて来る環境は、自分の発する波長に感応して創られてきます。欲望に翻弄された醜い心で、幸せに満ちた環境が現れれることはありませんし、清らかな心の持ち主が悲惨な環境で苦しむこともありません。

 環境が現れて来るのに「心の法則」の「類は類を呼ぶ」という法則が働きます。
 例えば人に無理に負担をかける、俗に骨を折らせるといいますが、こうした行いを身勝手に行った場合、自分が何かのはずみで骨折したりします。

 自分が望むものが現れてほしいと誰でも望みますが、それが叶う人となかなか叶わない人とが存在します。
 それはその望みが与えられるにふさわしい心である必要があります。
 自分の心の波長と欲する事物との調和が大切です。望むだけではダメなのです。

 神の創った法則やしくみは宇宙に遍満していて、望みが叶うときには、それを構成する要素や状況がおのずと集まってくると言われています。
 神は私たちのすべてを知り給うていて、その人に相応しい環境が創られます。
 私たちの行いは常に神とともにあると思うのが正しい考えです。

 自分の思うような人生が展開し、幸せに満ちた環境や運命を生きている人は、心が清らかな人であるのです。
 心清らかな人には、その人の人生にご褒美が用意されていると考えても不思議ではありません。

 なかには強欲で人から嫌われている人が、豊かで苦労のない人生を生きている人もいるじゃないかと、法則の働きを疑問視する人もいますが、その人の持っている善の働きや生きてきた内容は第三者にはわかりません。

 一見立派な人で人格者と見られている人でも、その心のなかでは自分の優位性を認めていたいがために、心のなかでは常に人の欠点をとらえているのかもわかりません。まさに神のみぞ知るです。

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