法則は誰が創ったのか(5)

お釈迦様の説かれた世界

 お釈迦様の説かれた代表的な言葉に「山川草木国土悉皆成仏」があります。
 これは、山も川も草木もこの世にあるものすべて仏の現れである、と説かれた言葉です。
 国土悉皆ですから、私たち人間もみな仏の命の現れたものであるということになります。

 これは人間は神の生命の法則に従って生まれた、神の子であるという考えと一致します。

 神も仏もそれぞれの国、それぞれの時代に生まれた表現であり、その表現の奥にあるのは、宇宙の大生命の存在を言い表したものと言えます。

 日本では天照大神とか御中の主の神とかイザナミの命とか、あるいは皇尊(すめらみこと)とかの称号で表現しています。

 この「山川草木国土悉皆成仏」という言葉は、お釈迦様が悟りを開かれたときに、この世界の本当の姿を悟られ言い表された言葉です。
つまり、私たちが生きているこの世界の本当の姿は、すべて仏(神)の命の現れた世界であるということになります。

 お釈迦様の言われた言葉に、「天上天下唯我独尊」というのがあります。
 これは、自分という存在は、この宇宙で唯一尊いものだという意味になります。
 別の言い方をすれば、「私は仏(神)である」ということを言い表しています。
 一人一人の人間は神から与えられた権能(力)をもつ存在である、ということになります。

 もう一つ、私たちの生きているこの世界の本当の姿を表現したお釈迦様の教えがあります。

 それは、法華経如来寿量品第16の文に「巷がどんなに悲惨であろうとも、自分の住んでいる世界は常に安らかで天人が充満している(衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、吾が土は安穏にして、常に天人充満せり・・・)」と書かれている一節があります。

 これは仏の住む世界だと解釈されていますが、本当の意味は、私たちが生きているこの世界の本当の姿を表現したものであると、私は理解しています。

 私たちが生きていると思っているこの世界は、五官の眼で見ている世界であり、映像の世界であるというのが正しい世界観であると思っています。

 先人の説かれた説をよくひも解いてみると、みな同じことを言っています。
 私たちの自覚が高まれば、今見えている世界と別の世界が展開してきて、この世界はそのままで神の世界であると説かれています。

 仏の世界は西方浄土にあるのではなく、神の世界は別のところにあるのではなく、今、ここに存在しているのです。時間も空間も私たちが<生きているこの三次元世界でのみ感じている認識に過ぎないと言われています。

 ですから神の世界は、私たちが遠い未来に到達する存在でもなく、どこか遠い彼方に存在する世界ではないのです。今ここに同時に存在している世界です。

 私たちが生きていると思っている世界は、自分の心の影が現象として映像のように現れている世界なのですが、五官の眼で見ると確固とした存在として感じているのです。

 自覚が深まるにつれて、現象をつくり出すしくみがわかってきて、この世界の奥には神の導きがあり、一切は神の御業の現れんがためである、ということが自覚されるようになります。

 多くの人は、癌なども五官の眼でみると確固たる存在に見え、もう自分の力ではどうにもならないと受け止めてしまっています。

 でもこれは自分の心の影であるととらえ、そしていっさいの現れは神の御業の現れんがためであると自覚することで、この現象を変えることができます。
 私の癌が消えたのも、私の自覚を変えたからです。

 私などまだこんなことが書ける立場でも、書けるだけの資格もありません。
 書けば多くの人から反論や反感が寄せられると思うのですが、いつかは書いておくべきだという思いで書きました。

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