法則は誰が創ったのか(6)

イエス・キリストの説かれた世界

ヨハネによる福音書 3:5-8
イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国に入ることはできない」。 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。

イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。

この福音書に対する私の解釈です。
新しく生まれるとは、自覚の大転換のことを意味します。
私たちは、永い間、自分は肉体であり、それが自分の生命であると思い込んでいます。つまり自分が自分の肉体を使って生きていると思っています。

これは根本的な間違いで、その肉体生命の意識を捨てなければ新たに生まれ変わることはできないのです。私たちは自己が「物質的肉体」ではなくて、霊的存在であるということをはっきりと認識する必要があります。

自分の肉体は神の創った生命であり、神によって生かされているのが本当の自分なのです。つまり自分は神の命そのものであり、神の霊なのだと自覚することが新たに生まれるということなのです。

これは自覚の大転換です。
お釈迦さまも、「一切は空である」そして、「山川草木国土悉皆成仏」と言われ、すべては仏の命の現れであると説かれています。さらには「天上天下唯我独尊」と言われ、自分の実の姿は、仏であると説かれています。

この大自覚に入った人のみが、神の国に入ることができるとキリストは教えられたのです。
水と霊とから生まれるとは、水はキリスト教における洗礼を意味し、つまりあなたは神の子であると宣言されたことを意味し、霊によって生まれるとは、肉体を否定し、人間は霊的存在であるということを自覚しなさい、と言われたと解釈します。

風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
私の体験から神の導きは、とても深遠のもので、到底自分の思いなど及ぶものではないし、まったく不可思議なはからいで適時に行われていることを強く感じます。まさに風がどこからきて、どこへ行くかがわからないとキリストが言われた例えが、神に生かされている私たちの生命の姿をよく言い表していると思います。

このイエスの言葉は、何も遠い理念を語っているのではなく、今、私たちが生きているこの時、新たに生まれるか、このまま物質的肉体として迷いの中をさまようかの切実な問題を投げかけているのです。