人間とは何か3
私たちの生命は神の創った生命の法則で生まれているならば、私たちは神から生まれたと言っても過言ではありません。
私たちの生命は隅々まで神のいのちの現れということになります。つまり人間は神の子ということになります。
私たちは神の子であるならば、なぜ病気とか欠陥とかが生じているのでしょうか?
神と私たちとのつながりのしくみをよくよく考えてみる必要があります。
私たちは肉体ですが、その肉体の核をなすのは生命です。肉体が生成されるのと同時に生命も生成されたとみるのか、肉体と生命は別であるとみるのかは、人間を知るうえでとても重要です。
人間が死んで土に還ったら生命もそれでおしまい、であるなら肉体が生成されるのと同時に生命も生成されたということになります。
一方、前世の記憶を持つ人の存在や、霊界通信を体験した人たちの話、霊感を持つ人の存在などで、人間は生き通しの生命であるということになります。
これは科学的な範囲ではありませんので、証明されるかどうかの問題ではなく、直感の範囲です。
私は肉体と生命は別であり、母の胎内に生成された肉体に、生命が宿ってくるという考え方です。
どの肉体にどの生命が宿るのかという範囲には、神の意志というか、宇宙のしくみが働いていると思っています。
生命が肉体をもって生まれるということは、その生命はそれぞれが、この世界でさまざまな表現と役割をしていくわけで、この生命界の高度で複雑な世界を構成していくのは、肉体の生成と生命の生成が同時だなどとは到底考えられません。
私たちの仲間のなかには、自分が生まれ、生きてきて、この世界で果たすべき使命を感じている人もいます。それは自分以外の高度な生命界の働きがあるからにほかならないからではないでしょうか。
私たちが今生きている世界の奥に、もっと高度な世界が横たわっていると考えます。
私たちが生まれるときには肉体として生まれてきます。そしてこの世界を認識するのは、その肉体に所属する五官(眼、耳、鼻、舌、身)ですので、人間を物質的と認識します。
神は霊的存在ですので、肉体と認識している私たちは、認識の上で神と乖離します。
物質的な存在と認識している意識で生きています。ここに神の世界と、この生きている世界との一致が生まれにくいと思うのです。
人間は肉体であるという意識が、完全なる神の世界と乖離し、不完全な世界をつくり出していると考えます。病気や欠陥はこの世界の歪んだ現れの一つであり、心の影が現れるという「心の法則」の結果です。
心が完全なる神の世界を認識して生きている人には、病気や災難、欠乏などとは縁のない穏やかで豊かな世界を生きていると思います。この完全なる世界を説いた人がいます。
イエス・キリストとお釈迦様です。