第二章 この世界の知られざるしくみ

唯心所現

 私たちの生きているこの世界は、心の創り出した世界であるということを唯心所現といいます。「笑う門には福来る」という言葉は、よく使われていますね。また、「病は気から」と言われています。これらの言葉も「唯心所現」を言い表しています。

 これらの言葉は、昔から使われてきています。「笑う門には福来る」という言葉は、経験からことわざになったのでしょう。

 まだ医学が今日のように発達していない昔から、これだけ医学が進歩した時代でも「病は気から」という言葉が使われているのは、この言葉に真実が含まれているからでしょうね。

 いつも愚痴や悪口ばかり言っている人と、明るく悪口など言わない人の人生は同じでしょうか?違いますね。暗い人は暗い人生を引き寄せ、明るく清らかな人は幸せな人生を生きていきます。これが唯心所現です。

 心の持ち方は、その人の雰囲気さえ変えていきます。私の知人のお嬢さんですが、ある日、そのお嬢さんの友達が遊びに来られたとき、お母さんに「私、○○さん(そこのお嬢さん)のようになりたい。○○さんはとても魅力的でみんなに好かれるんですよ。どうしたら〇〇さんのようになれるかしら?」

 お母さんは、しばらく考えて、「そうね、あの子の違うところは、ご飯を食べたらいつも「あー、おいしかった。ごちそうさま」お風呂からあがるといつも「あー、気持ちよかった、幸せ」と言ってるわね。

 自分の環境を変え、健康になり、幸せになるために最も大切な心はなんでしょうか?それは赦しと感謝の心だと言われています。自分の人生をいいほうに変えるには、自分が苦しみを与えた人たちを赦し感謝する心境になることが一番です。

 苦しみは自分が蒔いた業の流転として現れてきています。その蒔いた種を赦しと感謝の心できれいに浄化できれば、苦しみは自ずから消えていきます。

 業は現れれば消えていく働きをもっているのですが、なぜ多くの人がそのまま不幸を現わしていくのでしょうか?

 自分のまいた種をそのままにして何ら変わることがないから、業が継続しているのです。懺悔と反省の心、赦しと感謝の心が足りないからです。そのことに気づいていないからです。

 私たちはさまざまな病気や欠乏、不幸を繰り返し体験しています。なぜ繰り返すのでしょうか?正しい法則を知らないからなのです。

 私たちは善きことをすれば心が喜び、悪いことをすれば暗く後ろめたい気持ちになります。それは私たちには魂の向上ということが、生きることの根底に埋め込まれているからに他なりません。魂の向上こそが生きる目的だからではないでしょうか?

 つらい出来事が起こったのも正しくない自分の生き方を、正常な道に戻すためと考えられませんか?

 私は抗がん剤治療で入院中に、時間がたくさんありますので、自分の人生を振り返り様々なことに思いを巡らしました。そうするうちに今後生きていく指標がはっきりとわかってきたのです。

 そうしますと癌になったことが無駄でなくなり、不思議と癌に感謝することができたのです。癌に対する不安や恐れはありません。私はすでに救われているとさえ感じていました。

 人生に起こってくる一切のことは、自分に進歩向上をもたらす要因であると思うのが正しい道だと思うのです。そうすると一切のできごとに感謝できます。

 明るい運命をつくる第一の念は、感謝の心だと言われています。何をやっても感謝の心がなければ、なかなか思うような結果は現れません。救いの波長と感謝の波長は不可分で一体です。

 感謝の気持ちなど到底起こらないほど苦しく、辛い時の感謝ほど尊いものはありません。そういう状況でできた感謝は本物であり、強い力を持つからです。
 大きく救われた人は、間違いなく人生の苦難のなかで救いを見つけた人たちです。苦難の中で救いを見つけたのですから、その感謝もひとしおではありません。

 実は、この苦難のなかに救いが隠されているのです。私たちは、平穏でなにげなく生活をしているときには、そんなに救いも求めませんし、感謝の心も強くでてきません。苦難のなかに、私たちを導いてくれる宝が埋め込まれているのです。

 その宝を見つけた時の喜びと感謝。それこそが私たちを大きく進歩へと導いてくれます。その

喜びと感謝で私たちは救われ、自分をとりまく環境が変わってきます。それこそ唯心所現なのです。

 今、あなたが苦境にあるのなら、ただ辛く苦しむだけでなく、心をしずめて、この苦難は自分にどんな意味をもっているのだろうかと深く考えましょう。

 困難の現れのなかに、あなたを導く価値が埋め込まれていると知るべきです。悪しきと見えることも善の姿の変身とみることができます。必要なのは、この苦難に挑んでいくあなたの強い心です。その人に解決できない苦難は与えられないのです。