道を踏み外した結果
この世界は、「一寸先は闇」と言われるくらい五里霧中の中を生きています。
今自分が生きている方向が正しいのかどうか、自分の行いが正しいのかどうか、このやり方でいい結果が出るのかどうか、など明確な答えなどわからないまま生きています。
私たちは自分なりの願望や欲望、利己心を持っていますから、純粋に正しいと思う道を歩んでいくことはありません。多くの人は、まさに正と悪を織り交ぜた混沌とした道を生きているのが実情です。
その結果、自分の人生にさまざまな喜びをもたらすこともありますが、思わぬ困難や苦労、苦しみの人生を現しています。まさに成功と失敗の繰り返しを生きています。
なかには自分の欲望や欲情に翻弄され、犯罪の道へ入っていく人もいます。
私たちが道を踏み外した生き方をした場合、どんな現れが起こってくるのでしょうか?
もし人に喜ばれる正しい道を生きている人も、自分の邪悪な心による道を生きている人も何ら変わらない人生が展開をするのでしたら、この世の中は不公平ですよね。
その違いをうすうす気づいているから、みんな一生懸命道を踏み外さないように頑張って歯を食いしばって生きています。
私の場合ですが、本を出版し、豊かに順調に人生が展開していました。ところがある時期を境にいままで通りの状態が続かず行き詰まっていきました。
癌にかかり、それが完治してやれやれと思っていた矢先、今度は経済的な困難に直面したのです。
人為的な努力で状況を立て直そうといろいろ対策を立てがんばりました。ところが何をやっても一向に解決しません。ますます悪い状況になっていきました。
そういう現象が起こってくるには、そうなるべき原因をみずからつくっています。その真の原因に気づかない限りすみやかな解決は望めません。
こんな状態が引き起こされるのは、自分の傲りと傲慢な心です。今までのそれなりの成功を自分の力の結果であると思っていると、いつか崖から転落することになります。
必要なのはお世話になっている人達への報恩と感謝、私はこれを全く意識することなく自分の力だとおごり高ぶっていました。
これが人生の思わぬ落とし穴へ入っていくしくみの一つです。長く繁栄する人は、このしくみをよく理解し、実践しています。<br> 京セラの稲盛和雄氏の「利他の心」は非常に大切な教えです。この世界の根底にあるしくみは共存共栄であり、すべてが生かし合いであり、利己主義、身勝手は必ず行き詰まるようになっています。
私たちが道を踏み外さないように一生懸命頑張って生きているのは、無意識的にそうするのが正しい道だと知っているからでしょう。
自分の欲情や欲望に負け、道を踏み外している人は、今現在、得したような気で生きていても、いつか必ず崖の下へ転落する状況が起こってきます。
その時の悲惨さ、苦しみは自分が道を踏み外した内容の程度に比例するでしょう。
自分に起こる環境、運命はまぎれもなく「心の法則」に支配されています。