私たちは肉体の観点から考えますと、自分の身体、ほかの人の身体と明らかな区別があります。人が美味しい食事をしたからとて、自分が同じように美味しいと感じるわけではありません。

 この区別観が肉体人間の特徴です。ですから他の人を押しのけても、自分の利益を優先にして生きていく傾向があります。

 ところがこの人生観が、私たちを不幸にし、困難な人生を生きる原因をつくって、私たちに大きな問題点を投げかけているのです。そこで正しい人間観を知ることが大切になってきます。

 神に生かされている私は、肉体人間として生きる自分と、霊的人間として生きる両方の生命を生きています。

 これは私だけではありません。すべての人が肉体人間と霊的人間を生きています。生きているというより生かされています。あなたが知っている知っていないにかかわらずです。

 肉体人間の世界は、五官の認識の世界ですから、対立、闘争の意識が働いています。
 しかし、生命の本源である霊的人間の世界においては、対立、闘争はなく、調和の世界です。ここが“自他一体”の世界です。
 私たちは、霊的人間の世界観を肉体人間の世界にもちきたさねばなりません。

 神に創られた私たちの生命の本質が、“自他一体”ですから、人の役に立つこと、人を喜ばせること、感謝することが幸せになる因であるということがよくわかります。

 身勝手は肉体人間に所属し、無我の愛は霊的人間に所属するといえます。肉体人間の認識にこの“自他一体”と“無我の愛”を与えて、私たちを導いているのが、心の法則です。法則は神です。

カット2

 肉体人間に所属するものに損得の感情があります。社会には理不尽なことがたくさんあります。それによって自分が理不尽な思いをしたり、損を受けたりすると自分の感情が乱れます。乱れるだけならまだしも怒りの感情に襲われたりします。

 法則から言えば、たとえ自分の側に責任がなくても、その想念の結果を未来に受けるのは自分自身です。結局、二重に不利益を受けることになります。これも現象世界の不幸を現す原因の一つです。

  

 こうした自分に関係のない事象で自分が損する事態になったとき、一体どうすれば正しい道を歩むことになるのでしょう。
 私たちは、「与えたものが与えられる」という法則が働いている中で生きています。

 私たちもいままで生きてきた中で、知らず知らずのうちに人に迷惑をかけてきたり、人を傷つけていたりしたことがあるかも知れません。
 そこへ思いをはせて、相手の理不尽を赦し、心から放すように心がければいいのです。難しい修行ですが、繰り返しの体験で可能になってきます。
 人生は魂の学校であるというのは、このことを言い表しています。

 霊的人間である私たちは、肉体人間を超越した、神に導かれている生命です。
 神との接点を持っている生命です。ここは自覚の世界です。私たちの生命の本質に迫って、“本当の自分”を知ることが私たちが生きる上で必須なことなのです。

 霊的人間の生命は、神の“意識的顕現”であり、肉体人間は、神の“意識的顕現”の“座なのです。
 これが”本当の自分”であり、私たちには神が宿っているのです。

おすすめの記事