神は久遠永劫の存在であり、時間空間を超えた存在です。

 私たちの生命の本源の世界も、この神の創られた世界に存在しています。そしてここは霊的世界なのです。私たちの命は神から生まれ神と一体となっているのが真実です。

 もし神と別々の命であれば、私たちは神と対立することもあるでしょうし、自分の生命の一切を自分で維持しなくてはなりません。神と一体だからこそ神の創られた法則のなかで無限生命を生きていられると思うのです。

 肉体は神の表現の座として創られ、この世界に神から与えられた命の表現なのです。私たちの命は、永遠に生き通している霊的生命と、この表現の世界で生きている肉体生命の二つが存在すると考えるのが一番わかりやすいと思います。

 そして、時間と空間は私たちが生きているこの世界だけの認識に過ぎないのです。私たちが生きているこの世界で、生命が命の展開を表現していくために認識されている感覚であり、観念です。私たちの生命の本源の世界には、時間、空間の概念は存在しません。

 肉体生命には生理機能をつかさどる法則が働き、その法則に生かされ寿命を全うしています。肉体が死んでも私たちの生命まで消滅しているわけではないのです。死んだあと幽界とか霊界とかを生きていくのですが、私たちの生命の本源の世界は、神と一体となっている世界なのです。

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 私たちは自分の身体を使って生きていくように定められていますが、その私の肉体は、神によって創られています。こんな精巧な肉体生命は自然には生まれません。だいいち、人類のすべてが、皮膚の色や人種や顔こそそれぞれ異なっているものの、心臓や内臓など、目や鼻や口の配置など同じに創られています。これは統一された一つの知性によってつくられたという証拠にほかなりません。

 人間だけではありません。すべての生き物、自然、宇宙、これらが偶然できたといえますか?統一された意志が働いているからこそすべてが調和され、生命は同じ法則で寿命を全うしています。私たちが同じ神から創られた人間であるということは、他の人と自分とはつながりがあり、自分だけで生きていけばいいなどということはありえません。人と自分とは神の命のつながりにおいて、“自他一体”なのです。

 五官の世界に生きている私たちは、他の人と自分が一体であるなんてとても思えません。物質として、肉体としてそれぞれが別に生れています。同じ家族として生まれた者同士ならともかく、すべての人と一体感をもつなど到底出来そうにありません。

 でも、幸せに楽しく生きている人は、他の人への思いやりが深く、人との間に差別感を持たず、誰でも受け入れている人なんですね。人を排除する心を持っている人は、幸せで豊かな人生を過ごしていません。やはり私たちが生きているこの世界の根底には、見えざる世界からの働きが作用していると思わざるを得ません。

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