法則は誰が創ったのか(3)

人間とは何か2

 この世界は自分の心の影であるということは、たとえ失敗をしたとしても、どうして失敗したかという反省によって、次なる成功へいたる道筋だということになります。

 今、あなたの生きている環境や仕事や地位は、「自分にはふさわしくない。これは好ましくない」と考えられているかも知れません。でも今の状況から抜け出すには、実力が必要です。

 つまり今の状況からぬけだす実力をつけることが先です。人生は魂の修行をする場ですから、魂がそこを終了するにふさわしくなったら、次なる世界が開けてきます。それが私たちの人生であり、神の導きです。

 私たちはいつでも今の環境や仕事などから他の環境や仕事に変わることはできます。「自分にふさわしくないから止めた」といって変わっていけばいいだけのことです。

 でも変わってもまた同じような状況が生じます。自分に課せられた人生学校のその課程をまだ修了していないからです。

 私たちには「無限の可能性」が与えられています。その可能性を引き出すためには、それぞれに与えられた境遇で努力をする必要があります。

 今の境遇は、そこで努力をすることが、自分の実力をつけていくのに最も適当な境遇だからです。自分に実力がついていくことで、次の世界が開けてくるしくみになっています。

 人間はほかの人に対してやったこと、与えたことを自分にやがて報いられることになります。これを“業の循環の法則”といいます。

 自分の表の心(現在意識)は、「人に苦しみを与えたけど、その代わり自分が助かった」とほくそ笑んでいても、潜在意識は“業の循環の法則”に基づいて罰するのです。

 これを自己処罰といいます。不幸な出来事や病気などは、自己処罰の姿でもあります。これが“心の法則”のはたらきの一つです。

 私の例なのですが、ある時、車を運転していて信号待ちで停車しているところに、後ろから追突されました。私に落ち度はなく一方的な事故です。すぐ警察に連絡しましたが、場所が信号のある交差点ですので渋滞が起こりました。

 相手の運転手はたくみに車を移動しようと言います。車を空地へ移動することにしましたが、相手の運転手は隙をついて逃走していきました。私は警察官が来るのを待って相手の車のナンバーを通知しましたが、結局、警察からは中途半端な連絡があっただけで私の泣き寝入りになりました。

 この時、私はあることを思い出しました。
 それより以前に、私は仕事で配送中に、ある家の前で車をバックしていて、うっかりその家の前に駐車していた車にぶつけてしまったのです。ガチャンと大きな音がしました。その音でその家の人が出てくるだろうと待っていましたが、一向に出てきません。

 しばらく待っていましたが、私は卑怯な考えを出して、そのままその家の人に詫びることなく逃げてしまったことを。

 先の事故は、私が与えたものが与えられた、“業の循環の法則”により起こった自己処罰だったのです。自己処罰も人間の本質の一つです。

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